確かな技術の理由

歯科医師になるまで10年余分にかかりました。それを回り道だとは考えていません。

高校卒業後すぐ技工士学校で学び、歯科技工士として仕事をしました。その後歯科医師を志し、今に至っています。歯科技工士としてミクロの技を磨き、歯学部では基礎歯科医学を学び、その後の研修で歯科医療の臨床を学びました。

歯科技工士から歯科医師へ

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なんとなく踏み入れた歯科技工の道でした。18歳の青年に自分の適性が判るはずもありません。技工学校ではつまらない毎日を送っていました。

歯科医院に就職して一変しました。すさまじいハードワークが待っていたのです。
歯科技工には「品質とスピード」が要求されます。仕事としてこなしていくにはスピードが必要です。しかし私は、スピードはあとからでも良いはずだ。良い物が作れなくては意味が無いと考えました。スピード重視で粗悪なものに慣れてしまっては、後から品質を上げるのは難しいと判断したのです。

幸い片山隆明先生という素晴らしい師に恵まれました。すさまじいまでに精度を要求されるのです。一切の手抜きは出来ませんでした。
さらに、仕事量も要求されましたので、スピードが無い頃は残業で補うしかありません。二晩連続で徹夜、三日目のある朝、仕上げた技巧物に問題があったため窓から捨てられたときは、泣きたくなり、すべてを投げ出したくなったのを覚えています。しかし仕事として儀好物を作る以上、寝ていないから良いものが出来なかったなどという言い訳は通用しません。

片山先生が、歯科医師として学会などで全国区で活躍なさるようになると、私は世界を目指しました。

だんだんと、学会で論文を発表したり、学術誌に作品や論文が紹介されたりするようになりました。24歳のときに、全国でも最年少で日本歯科技工士会認定講師に選ばれ、県外で講演するようになりました。25歳の時には10年ごとに開催されている、国際歯科技工学会で講演する機会を与えられました。このときも世界最年少でした。若手に機会を与えてくれた先輩方に感謝します。

ところが皮肉なことに、その国際学会を境に私に変化が起き始めました。技工士としての限界を悟ってしまったのです。主にヨーロッパの歯科技工士たちは、芸術と呼べるような技工物を作るのです。どんなに努力しても超えられないであろう持って生まれた芸術性の壁を知らされてしまいました。

その頃から歯科医師を志すようになりました。

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